先代朗童管と秀勝管

  

                                                             2021年9月

 

「先代朗童管」、なんとゾクゾクする響きだろう。

 

高校生の頃バイオリンに興味を持ち、フランツ・ファルガ著(佐々木庸一訳)「バイオリンの名器」という本を読み耽った。

 

ニコラ・アマティ、アントニオ・ストラディバリ、グァルネリ・デル・ジェス、カルロ・ベルゴンツィ、ドメニコ・モンタニャーナ、ヤーコプ・シュタイナーなどの名前に心躍らせた。

 

木という、自然のものを素材にしたバイオリンという楽器に心引きつけられた。

そして、見た目には同じ形をしていて、音も「バイオリンの音」という範疇にあるにもかかわらず天と地ほどの価値の違いは何なのだろう、作者の技量の違いとは何なのだろうと思いにふけった。

 

そして今、先代朗童管の名を目にするとその時と同じような、何か特別の感情が湧いてくる。

 

先代朗童管がなぜそれほどまでの存在なのかという根源は、やはり私にとって特別の存在である鯉沼廣行師である。

鯉沼廣行師の存在無くしては先代朗童管には行き当たらない。

まず鯉沼廣行師があって、師の音楽を奏でているものが先代朗童管であったからということである。

 

鯉沼廣行師の弟子にしていただき、お稽古のたびに手に届くような距離で師の先代朗童管の響きを浴び、胸を高鳴らせていた。

 

しかしながら、先代の朗童氏は昭和57年にお亡くなりになっていて、簡単に手に入れられる代物ではなかった。

鯉沼廣行師の音色にため息をつきながら、ひたすら憧れるしかなかった。

 

そんな中、世の中はインターネットの時代になっていった。

インターネットのオークションの中に、先代朗童管を見つけた時は本当にびっくりした。

 

先代朗童管がやっと自分の所有するところとなったのは平成16年であった。

憧れ続けて11年経っていた。

茨城県の古物業者と思われるところからの出品だった。

落札するまでの数日間はドキドキしっぱなしだった。

今考えるとびっくりするような安価であった。

 

落札したのは、古典調6笨調子天地巻き。

全体的に「標準の作り」と言える笛だった。

しかしその音色は正に先代朗童管の響きそのものだった。

嬉しくて嬉しくて仕方なかったのを昨日のことのように覚えている。

 

その後気をつけて見ていると、意外にも先代朗童管の出品が結構あった。

鯉沼廣行師の音に憧れ続け、11年もお預けを喰らった反動なのか、出品される先代朗童管はほとんどと言っても良いくらい手に入れた。

 

7孔古典調の天地巻き、その上級管と言われる半重巻きばかりでなく、6孔の民謡笛、みさと笛、ロチレツ笛など、合計で60本近くになった。

 

いくら先代朗童管と言っても楽器のことだから相性があり、自分にとって吹きにくい笛も存在したが、概ねどの笛も憧れ続けた先代朗童管の響きを持っていた。

 

ただ、コンサートでの稼働は最初に手に入れた天地巻きの6笨調子が圧倒的に多かった。  

 

 

平成30年、これぞ最高の先代朗童管と言える笛に出会った。

それはオークションに突然現れた。

写真を見た瞬間、何かビビッとくるものを感じた。

3、4、5、6、7、10、11笨調子、古典調天地巻きの7管のセットだった。

10、11笨はまず使わないのでいいのだが、3~7笨という理想的なセットだった。

これは是非とも手に入れたいと思った。

いや、絶対手に入れようと思った。

一週間後、手元に届いたそれらを吹いた瞬間、写真を見たときの直感が間違っていなかったことを実感した。

とともに、もしこれらの笛を手に入れられなかったら、と思うとゾッとした。

それほどの思いに至らせる笛だった。

 

特に6笨は驚くほどのポテンシャルを秘めた極上の管だった。

この笛だけ特別なのではないかと思わせるほど極上の竹だった。

太く、密度が高く、目方も重い。

量ってみると一番重かった。

ちなみに

 

          重さ(g) 長さ(cm) 外径(cm)

3笨  72       54      2.18

4笨  78           50          2.21

5笨      69           49.3       2.12

6笨      79           47.2       2.13

 

6笨の竹が他の笛とは別格の感じだ。

 

私は、常々6笨調子の笛が一番篠笛らしく、扱いやすい笛だと思っているので、この笛に出会えたことは自分の笛吹き人生にとってとてつもなく大きなアドバンテージを得たと思っている。

 

もちろんその他の3、4、5、7笨も素晴らしく、コンサートでも何回となく吹いた。

この曲にはこの笛というのがあって、例えば

3笨は拝作の「空」

4笨は同じく「十六夜」、福原先生の「京の夜」

5笨は福原先生の「山ざくらの歌」

6笨は拝作の「星河」「風韻」、鯉沼先生の「五木村の子守唄」「蘭」「篠の音取り」「津軽山唄による幻想」等。

 

これらの笛がなければ表現できない世界をアシストしてくれる。

 

先代朗童管の特徴は、何と言っても蜜の音味である。

これは先代朗童管固有の響きである。

孤高の響きと言っても良いかもしれない。

他の笛でも素晴らしい音味を持っている笛はあるが、蜜の音味は先代朗童管しか知らない。

吹奏感は自分にとってドンピシャのど真ん中である。

当たりが遠過ぎず近過ぎず、息も広がり過ぎず輪郭がつけやすい。

いつ、いかなる時に吹いてもそれは変わらず、最大の表現を約束してくれる。

これはとても不思議なことである。

 

甲音、大甲は息が程よくフォーカスされ、ピュアであるが退屈な響きではない。

コンディションの良い時は、音がどこまでも飛んでいくのが見えるようだ。

そばで聴いて決して大きな音ではないのだが、そのコンパクトな響きゆえとても遠達性がよく、力まずとも涼しい顔をして吹き続けることができる。

篠笛の一番美味しい音域の、甲の左手の蜜の音味を堪能しながら。

 

素材、作りが良いのは勿論だが、先代朗童氏の篠笛作りにかける情念のようなものが込められているのではないだろうか。

そして最低でも40~50年以上の年月を経て吹かれ、程よい振動が与えられてきたということも作用しているのではないかと思う。

 

残念なことに、先代朗童管の7孔で唄用あるいはドレミ調の管にはほとんどお目にかかれない。

私も所有している中で一管のみである。

 

 

洋楽的な旋律を吹くときの笛は秀勝管を吹いている。

秀勝管との出会いは平成28年だから、もう5年になる。

たくさんの色々なタイプの笛を吹かせていただいた。

結論から言って、自分の音楽を表現するのに最もふさわしい笛である。

先代朗童管とは別の意味で、痺れる楽器である。

 

秀勝さんには自分の意図する吹奏感、響き、音味をお会いする度に伝えている。

彼はそれを短時間で吸収し、具現化してくれる。

普段の場で吹いているだけではわからない、仕事の現場での感覚を伝えたりもしているので、とても実践的な、狩野仕様の笛だ。

ここ数年の進化は特に素晴らしい。

ほぼドンピシャの笛ができてくる。

 

秀勝管の特徴は、良い意味での雑味があること。

よく、綺麗な声よりだみ声の方が説得力を持って伝わると言われる。

秀勝管の音が決して美しくないという訳ではなく、むしろ惚れ惚れする美しい響きを持っている。

しかしその響きの裏側に、伝わる演奏に不可欠な雑味が隠れている。

その雑味を雑味として音に表すのではなく、雑味の潜んだ美しい響きを作る。

雑味を伴った美しい響きなくしては、深みのある表現はできない。

 

現在(令和3年9月)吹いている秀勝管は、

 

2笨 彩音 ー令和3年8月、中の漆を1回しか塗っていないので、柔らかく暖かな響きが出せる。工房に行かないと手に入らない特別仕様の笛。

 

3笨 素竹(瓦)ー令和2年7月、すべての音域にわたって反応が良く、コントロールがしやすい。「狩野嘉宏 篠笛さんぽ」第1回で「凍星」を吹いている。

 

4笨 素竹拭き漆(瓦)ー令和3年8月、現時点で吹き始めてまだ10日だが、吹く度に反応が良くなり、新しい響きを聴かせてくれている。

 

5笨 素竹(瓦)ー令和元年9月、3笨とともにとても反応が良く、美しい響きを持った笛。「狩野嘉宏 篠笛さんぽ」第5回で「湖上の朝」を吹いている。

 

6笨 素竹(瓦)ー令和2年4月、佐野の竹で、管内をあまりいじっていない笛。「新・つづみ物語 組曲」を吹いている。

 

7笨 煤真竹(カネタマル)ー令和3年1月、非常に珍しい滋賀県の煤竹で作られている。縄目模様がはっきりとついている。普通の竹とは明らかに違う古の響き。「笑顔巡り」を吹いている。

 

8笨 白煤真竹ー平成30年12月、私の秀勝管はこの一管から始まった。良い意味で8笨らしくない、6笨などど同じような感覚で吹ける懐の深い笛。

 

どの笛も同じ方向性で、私の思いをしっかりと伝えてくれる。

そして吹き込むごとに進化し、新しい音味を示してくれる。

秀勝さんは、会う度に色々なアイディアの詰まった笛を作ってきて吹かせてくれる。

お互い、日々進化の途中でゴールはまだ見えてこない。

 

 

先日、茶事の席での演奏で、和室のあまり広くない空間で思い通りの表現をするには、今吹いている秀勝管ではポテンシャルが高過ぎて大分セーブした吹き方をしないといけないと感じた。

例えて言えば、街中をF-1マシンで走るようなもので、スピードを出したくても出せないし、ゆっくりではギクシャクするし・・・

ドライバーの技術も、マシンのポテンシャルも発揮できない。

F-1マシンはやはりサーキットを全開で走ってこそ価値がある。

 

秀勝さんにその話をすると、その条件にぴったりと合うサンプルの笛を作ってきてくれた。

それは古典調ではあったが、研究用にお貸ししてある先代朗童管に沿った笛であった。

吹奏感も響きも申し分ない。

茶席の狭い空間でも加減せずに気持ちよく吹けるよう、竹材から厳選してくれていた。

これの唄用の笛を作って下さるようで、とても期待している。

秀勝さんの技術ならきっとドンピシャの笛ができてくることと思う。

 

 

 

先代朗童管も秀勝管も私の活動になくてはならない道具であり、宝物であり、最高の相棒である。

願わくば、いつまでもこれらの笛を吹き続けられることを祈るばかりである

常用楽器 その1〜ドレミ調〜

(2021.7月現在)

左から

蘭情管真笛一笨調子

秀勝管篠笛(瓦)三笨調子

秀勝管篠笛(瓦)五笨調子

秀勝管篠笛(瓦)六笨調子

秀勝管篠笛 煤竹(カネタマル)七笨調子

秀勝管真竹笛 煤真竹 八笨調子

常用楽器 その2〜古典調〜

(2021.7月現在)

左から

先代朗童管三笨調子

先代朗童管四笨調子

先代朗童管五笨調子

先代朗童管六笨調子